教会の歴史

〈歴代牧師・伝道師の記録〉

〈教会の歴史を振り返って〉

私たちの教会は、主イエスの愛に押し出された一人の宣教師によって始まりました。中国の共産主義化により、宣教地を日本に移したスウェーデン・アライアン ス・ミッションの宣教師、エステル・スウェンソン女史です。1951年4月に豊橋に来られ、最初は日本基督教団中部教会で礼拝を守りながら、東田町(現在の東田チャペル)でバイブルクラスを始められました。最初の信仰告白者が起こされたのが1952年11月頃とのことです。会堂を住吉町に持つようになったのは、1955年のことでした。スウェンソン先生の下で信仰を持たれた方の親戚が、土地を譲ってくださったのです。

スウェンソン先生はまた、自転車に乗って豊橋中に福音を伝えて行かれたそうです。先生を助け、一緒に自転車で走られた川窪起志花さんは、当時のことを振り返り、笑いながらこのように語っています。「スウェンソン先生の自転車は輪が大きいので、一回こいだら遠くまで行くのよ。私の自転車は輪が小さいから、先生についていこうと思ったら、何度もこがなければならなかったのよ。」と。東海地方に来られた宣教師の方々は、一軒一軒を訪問し、福音を語られたそうですが、そのスピリットは今も、「出て行く教会」という理念の下、私たちの教会にも受け継がれています。

協力牧会者として、丸山軍司師、続いて小岩井昭三師が赴任されましたが、その方々も転任され、スウェンソン先生の次に来られたウィバーグ先生も健康上の都合で母国へ帰られることになりました。そこにいらしてくださったのが、森川昌芳先生御夫妻です。1962年の5月のことでした。森川先生は、前任の古河教会でもそうされていたように、豊橋に来られても、宣教団体からの援助を打ち切り、自給独立の道を選ばれました。宣教師の時代には出されていたお茶とケー キが無くなったからでしょうか、スウェンソン先生からウィバーグ先生に引き継がれた時、30名であった礼拝出席者は、15名となりました。しかし、純粋に主を愛し主に仕える群れを用いて、主は働き始められたのです。1962年のこの年、教会は、同盟基督教団に加入し1964年には宗教法人の認可を受けました。

更に、森川先生御夫妻に、教会に幼稚園を、という思いが与えられました。幼児からのキリスト教教育の必要性を覚え、是非とも幼稚園が必要であるという思いが強く迫ってきたのです。当初、この考えは、役員会でも受け入れられなかったようです。教会の財政上、とても不可能に思われたからです。そんな時、清水たねさんという老婦人が「幼稚園設立のために」と15万円をささげられたそうです。当時、この教会での月定献金の最高が千円とのことですから、15万円とは大層な金額です。未亡人で、裕福でもない清水たねさんは、畑で採れた野菜を食べ、電気、水道、ガスを止めて、お金を蓄えておられたのでした。それを知った教会の方々は、自分たちもと、喜んで犠牲を払い、ささげられたそうです。このようにして、1966年4月、教会付属幼児教育施設愛児舎が開園されました。主の祝福は愛児舎だけにとどまらず、礼拝出席者数も、この年、54名となったのです。

2002年、愛児舎は、37回目の入園式を迎えました。卒園生が保育士となったり、今度は自分の子どもを預けたり、そんな例も見られます。教会員の子どもたちを始め、卒園生が、教会学校、ヤングチャペル(中高生科)、そして礼拝へとつながっていることは、大きな喜びであります。更には、信仰の確信へと歩んで行けるよう、祈り励んでいる今日であります。

さて、愛児舎開園に次いで、必要に迫られたのは運動場でした。隣接地に空地がありましたが、地主の方は、教会へは売りも貸しもしないと譲りません。そこで、教会がとった方法は唯一つ、全能の主に祈るということでした。会堂がゆり動くのではないかと思う程の激しい祈り。またある時は、断食し、涙を流しての祈り。そんな祈りの日々が一年程続いた後、今度は地主さんの方から、土地を買って欲しいとの申し出があったのです。更に次の隣接地(現在の駐車場)が与えられました。これは、当時の愛児舎教師たちが、「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく・・・あなたがたに与えている。」(ヨシュア記1章3節)との主 の約束を信じて、3年間祈りながら踏み続けた結果でした。その後も、土地を買って欲しいとの申し出があり、現在の牧師館が建っている地が与えられました。 このようにして与えられてきた土地に、1979年、現在の会堂が建てられました。

この間、良いことばかりが続いたわけではありません。最大の試練は、1975年に森川先生が心筋梗塞で倒れられたことでした。この時も、教会は一心に、ある時は徹夜で、祈り続けました。主の憐れみは尽きず、そのようなでも翌年の1976年には礼拝出席者数が100名を超えたのでした。

教会の中で取り組んだことは、御言葉の学びでした。べテル聖書学校の教師の資格を取られた森川先生が、旧約聖書から新約聖書までを一貫して懇切丁寧に教えてくださいました。受講する者は、病気以外の遅刻、早退、欠席をしないよう心がけ、宿題をし、テストは必ず受けるという厳守事項を心得た上で申し込むことになっていました。受講期間中は、覚えなければならない聖書の多くの概念に圧倒されながらも、先生と兄弟姉妹らに励まされつつ、楽しく有意義な時を過ごせたと感謝でいっぱいです。ここで得たものを、錆付かせることのないように生かして行けたらと願います。

教会の外に向けて行ったことは、ELI(夏の短期英会話教室)、総動員伝道、EE(拡大する個人伝道プログラム)などです。1975年から始まった松葉公園野外特別伝道集会は、23年近く続けられました。

1986年、東田町にあった宣教師館を購入。東田チャペルとして、翌年より水曜礼拝を始めました。また、日系ブラジル人の礼拝者が増えて来たため、1991年より、東田チャペルにて日系集会を別に行うようになりました。このため、翌92年に内田アン師を招きました。アン師の結婚、辞任に伴い、97年には、この日系集会を通して信仰に導かれ、神学校へ行かれた喜屋武エリサみどり師を招きました。日本経済が傾く中、日系ブラジル人の方々の生活も厳しくなっていることを思いますが、「ヴィダ・ノーバ」(新しいいのち。日系集会の名前でもあります。)を与えてくださった主への賛美は、大きく響いています。

1998年には、更にもう一つのチャペルが増えました。隣町の小坂井チャペルです。田中秀之師が、一軒一軒を訪問されて基盤を作り、森川直子師に代わられてからは、児童伝道に力を入れて教会開拓が続けられました。2001年末、大家さんの申し出により、それまで会堂に借りていた家を返すことになり、このため、同じ地区に、借家でという条件を挙げて祈って来たところ、主はなんとも素晴らしい方法で、新しい会堂を与えてくださったのでした。別の大家さんが、教会用に新しく建物を建ててくださり、20年間の契約で貸してくださることになったのです。この新しい集会場は、2002年10月に開所式を行いました。

森川先生は、1990年に心臓のバイパス手術を受けられましたが、豊橋に来られて40年間、主の豊かな守りの中、牧会を続けて来られました。3つのチャペルを合わせ、現在は、二百数十名の兄弟姉妹が家族や友人を誘い、礼拝に集っております。最初の宣教の実から50年余。2002年には、主の恵みを振り返り、記念礼拝式をささげました。

そして、2007年には、現在の主任牧師である林明信牧師夫妻が遣わされ、また共に労する働き人が増し加えられる中、多くの兄弟姉妹と共に天地の造り主である神様を礼拝できますことを心から感謝します。

2002年記録し教団に提出、2008年修正)

エステル・スウェンソン師 1951〜1958
丸山軍司師(牧会協力)  1956〜1957
小岩井昭三師(牧会協力) 1958〜1961
エリック・ウィバーグ師 1959〜1961
森川昌芳師(主任牧師) 1962〜2003
内田アン師(日系伝道) 1992〜1996
喜屋武エリサみどり師(日系伝道) 1997〜
田中秀之師  1998〜2001
阿部起士師 1998〜2002
野町真理師(主任牧師) 2000〜2007
森川直子師(小坂井伝道) 2001〜2007
大瀧恵理也師  2002〜2005
加藤一也師 (主任牧師) 2005〜
林明信師(主任牧師) 2007〜2017
安田恵梨師  2017〜